遊ぶ友だちがほしい 〜10年たった町づくり〜

 レインボー少年団は東京の西のはずれ、八王子市の郊外に多摩丘陵を切り開いて作られた、公団住宅「グリーンヒル 寺田」にあります。近くにはゴルフ場や法政大学のキャンパスもあり、多摩丘陵の豊かな自然に囲まれたところです。

                                      八王子・レインボー少年団 
                                 
小林一枝

 私は10年前の7月の末、2人の子どもが五歳と四歳の時に同じ八王子市内から転居してきました。248戸のこの住宅には、近くに保育園はあったものの、学童保育所はありませんでしたので、私は1人でも署名集めからはじめる覚悟で越してきました。
 
この住宅にはたまたま学校の先生が多く、「夏休みを利用して、学童保育所を作るために何かはじめよう」としていました。その方々と出会えたことは私にはラッキーでした。
 
そのなかのおひとりで、その後少年団を作る中心になって下さった遠山和子さんとはお隣同士。ずっと親戚以上のおつき合いをしています。

 子供を遊ばせたくて

 テラスハウスのこの住宅は、わたしが越してきた時の11戸のままなかなか買い手が無く、四年たっても50戸しか入居者がいないという状態でしたので、どこの家も子どもの遊び友だちが無く困っていました。
 
引っ越しがあると聞くと、子どもの手を引いて「お宅はお子さんいますか?いくつですか?」と、必ず聞きに行きました。だから、遊んでいる子どもはどこの誰かがすぐわかるという、いまでも笑い話になっている状態でした。

 
うちのように昼間保育園に通っている子はともかく、家にいるお子さんを持っているお母さんたちの悩みは深刻でした。
 
入居者が少なくても、公団との関係や生活を作っていくためにも管理組合が必要でした。初代の理事長は夫がやることになりました。

 
管理組合をつくる話し合いが進められるうちに、地域ぐるみ家族的なおつき合いがはじめられました。どんなところでも人が集まると必ず出される子どものこと、「子ども会でもつくったらどうでしょう」という管理組合からの提案もあり、以前文庫をしたことがある方、幼稚園の先生だった方などが中心になって、子ども会をつくるための準備がはじめられました。
 
 
ところが、一口に「子ども会」といっても、それぞれの人が自分の育った時の子ども会のイメージがあり、「子ども会」を共通のものにすることが大変だったようで、準備会は暗礁に乗り上げてしまったのです。
 
困ってしまった数人の方が、私のところへ相談に来られました。
 
「あなたは専門家なんだからいっしょに参加しましょう」と遠山さんに声をかけ、2人で「子ども会をつくる準備」にかかわりはじめました。

思い出いっぱいつくってあげよう

 かかわり出した理由が理由ですから、ひとり1人の思いを大切に話し合いました
 
田舎の村の行事の中で育った方、学校の校外活動の子ども会しか知らない方
などいろいろな方がいらっしゃいます。「住宅の子ども全員が参加するか、任意
参加するか」ひとつとっても何回も話し合いをしました。実際に子どもを集め行事を
組みながら、子どもところの楽しかった思い出を語り合い、みんなで「地域で
子どもを育てる意味」を考えました。

 ここは分譲住宅なので、誰もが骨を埋める地として考えています。ということは、
 「子どもたちにとってここは故郷になる」「ここで育った子どもたちに親の思いを
伝えたい」「子ども時代の楽しい思い出をいっぱいつくってやりたい」「そのために子ども会をつくろう」「子どもを中心に活動をやらせよう」具体的には、子どもたちに食べる活動、伝統行事、そしてなにより遊ぶことを。そしていつも地域全体、特に
学校との関係を大切にしよう。ということでみんなが一致するまで、1年半近くの
時間がかかってしまいました。

少年団をつくりたい



 ところが「子どもを中心にしたい」という思いはあるものの、具遺体的にはどう
すればいいのかわからず、はじめのうちは子どもの実行委員を募り、行事を企画
し父母が援助する形で団地内オリエンテーリング、夏祭り、スポーツ大会などを
していました。その年の夏、遠山さんから
 「少年少女キャンプ村に、子どもたちを出そうと思うんだけどいっしょに行かせ
ない?」と誘われ、八王子から12名の子どもがキャンプに参加しました。
 少年少女キャンプ村から真っ黒になって帰ってきた子どもたちは、どの子も家に
帰ってからもキャンプで覚えた歌をずっと歌い、踊りつづけ、この子一体どうしちゃ
ったのだろうとおどろかされてしまいました。
 私は子どもたちが何かわからない不思議な感動を持って帰ってきたように思い
ました。
 「人にこれやってって言われるより、自分で計画を立ててやるほうがすごく楽しい」
「指導員にようになんでも一生懸命やる人になりたい」「学校と違って大きな声で
歌が歌えて、もう最高に楽しかった」「新しい友達がいっぱいできた」といきいきと
感想がだされ、

 「私たちの子ども会はああいうのがいい」「ここにも少年団が欲しい、つくりたい」
とキャンプでいっしょになった指導員さんに頼んで行事を計画しはじめました。
 キャンプに参加した6年生が中心になって、子どもたちに引っ張られる形で
少年団をつくる動きがすすんでいきました。スローガン、約束、少年団の名前、
シンボルになるバンダナの色、会費、結団式のプログラムなどを決めながら、
月1回の楽しい行事を企画して行きました。

 そして6年前の4月、「レインボー少年団」が結団しました。小学校の体育館で
行われた結団式には、校長先生がはじめから終わりまで子どもたちといっしょに
なって参加してくれましたし、管理組合の理事やお世話になった小平や調布の
指導員さんや子どもたちも来てくれました。

 子どもたちの準備が始まると並行して父母会の準備も始まりました。12人の
親が世話人になり、代表に私がなりました。そして交流会を目的とした月1回の
役員会を定例化しました。

青年たちとの出会いのなかで



 
はじめのころ、父母会で話し合っている時は「子ども会に指導員はいらない」
のではないか、という意見が多かったのですが、来てもらったキャンプの指導員
さんたちと遊んでいる時の子どもたちのいきいきした様子を見ると、「指導員は
どうしても必要だ」ということになってきました。 さっそく全員で指導員さがしを
することにし、近くの中央大学、法政大学などにポスターを貼らして頂いたり、
ビラを配ったりしました。

 
また、近くにお住まいの大学の先生にお願いしたり、友人の教え子をさがすなど
考えられる方法を全部やってみました。


 
さいわい法政大学に「地域の子育て」というゼミがあることを知り、その先生に
お願いしに伺い、学生さんを紹介して頂きました。

 
行事のあとには指導員さんたちと食事の会、お茶会などを開いて感謝の気持ち
をあらわし、指導員さんを大事にしてきました。


 
一品づつ持ち寄ったり、わが家のおかずだったりですが、食べながらその日の
子どもの様子などを中心におしゃべりに花が咲きます。

 
そんなおしゃべりの中で父母は、青年や学生たちの考えていることが自然と
わかり、彼らは父母の思いを知ることのできる場となってきました。

 
恋愛観や子育てのことを若い人とさまざまな職種のおじさんおばさんがいっしょ
に語り合うことはとても楽しいことです。

 
ここで知り得たことをもとにして卒業論文を書いた学生の指導員もいました。

 
父母会では子どもたちの次の例会には、どんな援助が必要かを話し合いますが
それが終わってからさまざまな話がはじまります。

 
考え方も職業も違う人たちが、気楽に本音で話せる場は魅力です。

 「そんなに遅くまで何をやっているんだ」といっていた父親たちも、行事で子ども
や指導員の姿を直接見たり、知り合いができてくるうちに話し合いにも加わるよう
になりました。時には父親、母親、指導員、それに子どもまで加わった大お食事会
が催されます。子どもの姿を通して親の子育ての仕方まで踏み込んで、率直に
批判も出来るようになってきました。

 日々の生活の中でも自分の子、他人の子の別なく、子どもに直接注意出来る
関係もできてきました。父親も子育てや学校の事にも関心を持つようになりました「お醤油かしてくれる?」「テンプラ揚げすぎたの。どうぞ」などと料理が窓からはいってくる関係もできました。

 こうなってくると、地域の中で安心して子育てができるとつくづく思いますし、
子どもを育てる事の楽しさを感じている自分にも気づくのです。

大切な指導員の力



 少年団を作りはじめた6年生たちは、今高校3年生になりました。来年は少年団
で育った大学生の指導員が生まれます。数年前から父母の話題は「指導員を
育てる」ことに変わってきました。

 少年団を楽しいもの、実り多いものにできるか否かは指導員の力によるところが
大きいと思うからです。高校生指導員にとって、子ども時代に育てられた事が、
とても大きな力になると思える事から、今私たちは子どもたち、特に役員会で
「自分の頭で考えてやってみる」ことを大切にさせています。自分で考え、行動
できる力を持った子供たちと指導員が対等の立場で話し合えたらすてきです。

 私の娘も今年から高校生になり、指導員の仲間に入るようになりました。自分の
子どもが指導員となってみて、高校生活では得られない、貴重な体験をさせて
もらっていることにあらためて気づきました。

すてきな地域ができました

今私の家を高校生に開放しています。地域にいつでも行ける場所があることっ
て家とのかかわりも生まれますから、いつまでも親がかかわれることになります。
少年団というのは、単に子育ての場だけでなく、地域を作る運動だとこのごろ
つくづく考えるようになりました。

法政からきた指導員さんが、レインボー少年団の父母を知って「自分の親と
先生しか知らなかった私は、世の中にこういう大人たちがいるんだと感動しました
将来自分も親になったら、こういう地域を作りたい」といってくれています。

10月9日、私の家の庭で恒例の大お食事会をやりました。例年のバーベキュー
にかわって登場したのは「さんま七十本」。

 
夏休みの思い出話しに花を咲かせました。ほろ酔い機嫌の親が退散したあと、
指導員たちは朝の3時まで少年団のこと、子どものことを話し合っていました。

 レインボー少年団には長い歴史があります。創設は1987年ですが、それ以前からさまざまな活動を通して、今の少年団の形を作り上げるために努力がなされていました。
 そんな試行錯誤の中で、どのようにしてレインボー少年団ができあがったのかを知っていただくためには、創設者のひとりでいらっしゃる小林さんが1994年ごろお書きになった「遊ぶ友だちがほしい」という記事を見ていただくのが一番よいと思いここに掲載しました。(ちなみに小林さんとはチイちゃん、大ちゃんのお母さまです。)